たった一枚の日記が、自分の中の「根」につながっている
日記を書いていて、
「‥‥でも
これを書いて何になるのだろう?」
とふと疑問に思うことがあります。

自分の一日の出来事なんて記録しても
ただの自己満足でしかなく、
無意味なことをしてるんじゃ‥‥
と思い始め、手が止まってしまう。
日記が続かなくなるのって、
こういう疑問や迷いがきっかけに
なったりするのかもなと思いました。
普通の自分の普通の日常を
1ページ書いたところで、
何かが劇的に変わった感じはしない。
書いても書かなくても、
特に何も変わらない。
木に茂っている
たくさんの葉の中の一枚が減っても、
誰も気付かないように。
でも葉には、
「木の一部」という意味が
ちゃんとあるんですよね。
小さな葉でも
木全体を育てるために必要で、
見た目にはわからなくても
確かに生命活動に関わっている。
そう考えると
一日の日記も一枚の葉と同じで、
小さな一枚だけど大きな木の一部
みたいなものなのかもしれません。
なぜなら
書いた時は特に意味がなさそうな日記でも、
後で別の日の出来事にもつながっていた
と気づいたり、
実は自分の核心を知る入口
だったりするからです。
この記事では、
日記を書いて意味があるのか疑問に思って
失速してしまいそうな人のために、
木に例えながら考えてみたいと思います。

日記の奥には構造(枝・幹・根)がある
一枚の葉の元には、
必ず枝があり
幹があり
根があります。
木の表面からは見えなくても、
一枚一枚の葉は
木につながる一部として存在しています。

人の心や日記も同じで、
私たちは今見えている側面だけで
自分を判断することがあります。
たとえば
うまくいかなかった日や落ち込んだ日、
その一面だけを見て、
それが自分という人間の全てのように
感じてしまうことです。
でも、そこで見ているのは
葉の一面だけかもしれません。
葉一枚で完結しているわけではなく、
枝や幹や根がつながっています。
同じように、
何気なく書いたつもりの日記から、
自分の深いところにある感情や想いが
引き出されることがあるんです。
だとすると、
日記を書いて
すぐ目に見える成果がないからといって
無意味だと判断してしまうのは、
ちょっともったいないかもしれません。

日記単体で価値を判断するのでなく、
その奥につながる
「自分を読み解くための入口」
という視点で見ると、
日記の見え方も違ってきます。

一枚の葉を辿ると根幹につながる
一枚の葉である日記を読み解いていくと、
その奥の「枝」には
思考や感情など目に見えない心の動き
があることに気づきます。
さらにその枝は「幹」につながり、
自分の軸となるような
大事なテーマに通じています。
そのため、
ある一つの出来事を掘り下げていくと、
思いがけず自分の中にある核心に辿り着く
ことがあるのです。

また、枝葉を通じて
自分の幹が理解できると、
その幹から派生している
別の枝葉で起きている出来事の意味まで
わかることがあります。
目の前の葉を直接どうこうしなくても、
自分の幹や根が整うことで
全ての枝や葉が自然と変わる
ことまであります。
葉が内部から木を育てているように、
日記を書くこともまた
自分の奥に静かに影響を広げています。
一枚の葉を丁寧に見ることは、
自分という木全体を理解する入口
でもあるんです。
「でも私、
葉なら今までたくさん書いてきたけど
幹の自分軸なんて全然ないよな‥‥」

と疑問に感じた人は、
いいところまで来ています。
あとはその葉と
枝や幹との繋がりを整えればいいだけ
なんですから。
日記を書いても
それ以上の意味や効果が感じられないのは、
葉と枝や幹がうまくつながっていない状態
だからなんです。

絵日記学で自分の根に触れる
この樹木の比喩から見えてくるのは、
絵日記学の特徴です。

多くの日記・ノート術は、
出来事の記録や思考・感情の整理など、
扱うのは「自分が見えている葉の部分」
になります。
絵日記学も葉を扱うのは同じですが、
葉を書くことを入口にしながら、
その奥にある「枝・幹・根」まで
扱っていきます。
「葉」の部分だけで
自分を理解するのではなく、
葉の大元まで深く掘り下げ理解していく。
そして大元の幹や根から整うことで、
表面の葉全体も変化していきます。
そのため、
「なぜかわからないけど、
絵日記を書いてたら
いつの間にか自分が変わってた‥‥
以前はいくら自分を変えようと
いろんなノート術を試しても、
表面しか変わらなかったのに‥‥」
と絵日記学の生徒さんたちが
不思議がることがよくあります。
(「また絵日記学の謎現象だ!」と、
絵日記学あるあるのように
言われたりします。笑)

頑張っても変わらなかったのに、
ただ日記を書いているうちに
「そういえば最近、
自分を嫌いだと思わなくなってる」
「あれ?なんか自分の意見を
自然に言えるようになってるかも」
と、日記の内容だけではなく
自分自身の内面や行動が
知らないうちに変わっていくというのは、
たしかに「謎」に感じるかもしれません。
それは
葉(日記)を書いているだけに見えて、
見えない深部で
幹や根(自己)が変わっていくから
なんです。

一枚の葉があなたの根につながっている
ここまで読んできて、
あなたの書いてきた日記の見え方が
少し変わっているかもしれません。
普通の日常が書かれた一枚の日記が、
「無意味なただの記録」ではなく
「自分の深いところにつながる入口」
かもしれないと感じられたら、
あなたの葉と枝がつながり始めています。

絵日記学が大切にしているのは、
日記を書くことそのものではありません。
一枚の葉をきっかけに、
その奥にある枝や幹・根までを含めた
自分の構造全体を読み解き、
整えていくことです。
だから、今日書いた一枚は
書いた瞬間は意味がわからなくても
特に大きな変化がなく無意味に見えても、
まったく問題ありません。
それでも「日記」という葉から、
あなたの中へと届いている何かが
必ずあります。
それは「自分」を支える根を
静かに育てる力になります。

今日生まれた小さな葉が、
未来の枝や幹を変えることがあります。
この記事が、
あなたの木を見つめ直す
きっかけの「種」になりますように。

自分という木の育て方を知りたい
と思った方はこちらから














