ジャーナリングがしんどい理由と「心の奥」に届く書き方

書いて気持ちを整える方法を探していると、
“ジャーナリング”
という言葉をよく目にします。

『絵日記学』を初めて知った人からも、
「ジャーナリングみたいなものですね」
と言われることがあります。

ジャーナリングとは、
手帳やノートに自分の思っていることを書き
思考・感情の整理をする手法です。

▶︎ジャーナリング(Weblioの定義はこちら)

 

でも実際は、
ジャーナリングをやっても
しっくりこなかった人
が、
絵日記学にたどり着くことが多いんです。

 

もちろんジャーナリングが合っていて
書いてスッキリする人もいるので、
ジャーナリングに問題がある
わけではありません。

ただ、ジャーナリングが合わない人には、
書けば書くほど頭の中がごちゃごちゃしたり
自分の気持ちがわからなくなってきて、
モヤモヤしてしまいます。

というわけで今回は、
ジャーナリングで
「書いているのにスッキリしない
というかむしろ疲れる‥‥」
と感じている人に向けて書いてみよう
と思います。

 

なぜジャーナリングでいきづまるか

ジャーナリングは、
普段から思考的で
自己分析や整理が好きな人には
とても向いている方法です。

ジャーナリングで
スッキリできる人というのは、
自分の思考だけでなく感情も出せる
言語化が得意な人でもあります。

 

その一方で、
書くことは嫌いじゃないんだけど、
いくら書いてもあまり効果がなかった‥‥
という人がいます。

基本的にジャーナリングは、
自分が自覚し言語化できていること
書いて整理していきます。

そのため、
感覚的で言語化が苦手だったり
自分の気持ちを見るのが苦手だったり
無意識に本音を抑えてしまう人は、
いくら書いても同じ悩みに戻ったり
書いていくうちにぐるぐる迷走するなど
負担になってしまいやすいんです。

頑張って書こうとするほど疲れてしまい、
だんだん書くこと自体が
しんどくなっていきます。

 

でもそれはあなたに問題があるのでも
やり方が間違っているのでもありません。

ジャーナリングが届く深さと
あなたがつまづいている心の奥では、
深さが
そもそも違うから
なんです。

では、ジャーナリングでは届きにくい
「心の奥」とは何でしょう?

 

ジャーナリングが届く限界は?

ジャーナリングで主に扱えるのは、
思考と、表面化している感情の一部です。

書くと、整理はされる。
分析して、納得もする。

でも、表面の部分を書いても
「心の奥」には変化が起きないため、
結局同じ悩みがまた戻ってきます。

特に「自分の本当の気持ち」のような
深い層にある感情が閉じている人は、
いくら書いても頭の中の言葉ばかりで、
感情を「感じる」のではなく
「考えて」しまいます。

また、感じすぎて
感情の暴走に振り回されてしまう人もまた
感情を扱うのが苦手です。

モヤモヤした気持ちを書こうとすると、
思考が暴走して吐き出しが止まらなくなり、
書いていて余計つらくなったりします。

その状態で整理しようとしても、
スッキリせずに終わりがちです。

 

感情が閉じているタイプも
暴走するタイプも、
自分の感情の深い部分がうまく書けず、
ジャーナリングでつまずきやすくなります。

つまり、
頑張ってたくさん書いているのに
あまりスッキリしないのは、
心の奥にある「本音の層」まで
リーチできていない
だけなんです。

 

絵日記学が届く「心の奥」とは

絵日記学も気持ちの整理をするので、
一見ジャーナリングと似て見えます。

でも実際は、
扱っている「心の場所」が違います。

 

ジャーナリングが扱っているのは、
自分で自覚できている気持ちや考え
といった言葉にできる部分です。

一方で、私たちの心には、
まだ言葉になっていないぼんやりとした
「奥の方にある気持ち」
があります。

  • なんとなくある違和感
  • 説明できないモヤモヤ
  • 理由がわからない衝動
  • 言葉にすると少しズレる本音

こうした気持ちは
頭の中だけでは掴みにくく、
ジャーナリングでは
アプローチしにくい部分です。

 

心の奥にあるうまく言葉にできない気持ち
を書くというのは、
難しいことのように感じるかもしれません。

実は、絵日記学の一番の特徴が、
まさにこの心の奥にある
「言葉になる前の感情」が出やすいこと
なんです。

 

また、というのは
頭で考える前の感覚や
抽象的なイメージがそのまま表れやすく、
なんとなく描いた落書きが、
「うまく言えないけど、なんかこんな感じ」
という気持ちを自然に表してくれます。

この、抽象的で曖昧なものが、
実は自覚できずに見落とされやすい
自分の心の奥にある感情の
大事なヒントだったりします。

 

だから、絵日記を書いていると

  • なぜかその色がしっくりきた
  • 絵に涙を描き足したら急に心がざわついた
  • 思ってもいなかった気持ちがふと出てきた

そんな心の奥の反応
起きることがあります。

 

ジャーナリングが
意識して書く気持ちを扱うとしたら、
絵日記学は
自分でも気付いていなかった気持ちを扱う。

同じ「書く」という行為でも、
触れている心の層がまったく別なのです。

 

心の奥が動くと何が起きるのか

絵日記では、
自分の意図とは別の気持ちが奥から出てきて
自分自身を内側から変えることがあります。

たとえば

「自分を責める言葉が自然と減っていて、
最近落ち込んでないことに気付いた」

「何気なく描いた小さなキャラクターが、
後から見返すと本音を抱えた自分を
そのまま象徴していた」

「自分では自分のことを
特になんとも思ってないつもりが、
『嫌い』と書いたら
なぜか勝手に涙が出てきた」

 

こうしたことが起きるのは、
表層の「思考」を通り越して
その奥にある「言葉になる前の気持ち」が
先に変化したからです。

それが、
心の奥の層が変わり始めたサインなのです。

正しさより大事にしていること

絵日記学を学び始めた生徒さんは、

「書いてみたけど、これで合ってますか?」
「字ばっかりで絵が描けませんでした」
「気持ちを書こうとしたら、
愚痴ばっかりになっちゃって‥‥」

と不安になることがあります。

でも絵日記学には、
「正しい書き方」や
「決まった型」はありません。

目指すのは、
みんなが同じゴールに
辿り着くことではなく、
その人自身の心の奥にある本音と
再びつながれるようになること。

 

絵日記では、
言葉にならない気持ちや
まだ自分でも説明できない感覚が
自然に出てくることがあります。

でもそれが、
心の奥にあった自分の言葉が見つかり、
長年のモヤモヤがスーッと晴れるような
腑に落ちる感覚につながるのです。

 

心は目に見えないものですが、
絵日記を続けていると
その見えない心の変化が可視化され
内面の変化に気付きやすくなるのも、
絵日記学ならではの面白さです。

「私、本当はこんな気持ちだったんだ」

ジャーナリングが合わなかった人でも、
自分の心の奥に届く方法に出会えると、
書くことでスッと軽くなる感覚
ちゃんと味わうことができますよ。

 

 

心の奥にある自分の本当の気持ちを
見つけたい方はこちらから

 


2025-11-16 | Posted in 大人の絵日記学No Comments » 

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