正しい方を選んだはずなのに苦しい理由

What is 『絵日記学の講師』??

まったくもって耳慣れない職業だと思います。
検索しても出てきませんでしたから。笑

先日、出版社の方と打ち合わせをする為に、この仕事に至る経歴書を提出する事になりました。
そういえば、文章にした事なかったなぁと。
というわけで、せっかくなのでこちらのサイトにもアップしておきます。
中学生の時に絵日記を書き始め、書けば書くほどハマり、そのまま社会人になってもずっと書き続けていました。

25歳の時、2番目に入った会社が、ギラギラの外資系パワービジネスの会社で。
そこでは、「稼ぎまくって成功者になろうぜ!!」と、合言葉のように使われていました。

「成功者になったら、お金も時間も自由になれる。
成功者になる為には、今の自分の考えを排除し、成功者の考えや行動を自分の考えに上書きすることが正解。
だから今そんなもの(絵日記)に時間を費やすのではなく、タイムマネジメント、タスクマネジメント、目標設定をし達成させるフォーマットになっている成功者の手帳を使うべきだ。」

つまり、

「成功するまでは絵日記はやめろ」

と言われて悩み、悩み、

結局、会社の方をやめました。笑

当初、成功者になることが人生の勝ち組という考えをそこで教えられ、そもそも社会とはなんぞやすらロクに知らないまま社会人になった私は、それが世の中の絶対的な正解なのかと、素直に言われた通り、自分の意見を排除して、それに従おうとしました。

みるみる心が曇っていきました。。
無表情になり、何も感じなくなり、やがて鬱状態になっていきました。

…絵日記をやめることが「正しい」ことのはずなのに、だったらなんで絵日記をやめようとすると辛くて悔しくて、こんなに涙が勝手に出てくるんだ??

(今思えば、その反応が、十分すぎるほどの答えでした。
頭では従おうとしても、心やコア(魂)ではそれを全力で拒もうとしていたんですよね。
自分の天道から外れようとしていたのだから。)

そうか、
私が望んでいたものは、成功者になることじゃないんだ。
お金の自由も時間の自由も、もっと極論を言ってしまえば失明してでも両腕を切断されても最後まで私が譲れない大事なものは私の「感性」だったんだ。

その私の信じた感性が、(理由は今はまだわからないけど)好き過ぎてたまらないほど惹かれているのがこの絵日記なのだから、それを私が信じてあげないで誰が信じてあげるんだ!?

と思ったところで、泣きながら結論に達しました。

 

そして私は、お金や時間の自由を手に入れた成功者になれる会社を辞めて、絵日記を選んだのでした。
そこの組織で教わった価値観も、確かにひとつの正解だと思います。

ただし、『自分の生き方にとっての正解』は、それと必ず同じものとは限らないんだという結論が、自分の中から生まれたのもこの時でした。

本来の自分らしくない方向にどんどん向かって、心やコアがどんどん枯れていって苦しくなって。
極限まで追いつめられて初めて本当の思いに気付き、ブレイクスルーするという荒療治でした。苦笑

この出来事から、自分にとっての絵日記が、もはや「単なる楽しいお絵かき道具♪」という存在ではなくなっていることを意識するようになります。

この絵日記が、もし本当になんらかの仕事になるなら?
私は、そんなに嬉しい仕事はないなと思いました。
今度は心やコアに、じわっと生命力がみなぎるような温かい感触がしました。

 

とはいっても、絵日記の仕事?
もちろんそんなものを求人情報で探しても、あるわけがなく。笑
じゃあもう、作るか。作ってしまうか。

どうやって?絵日記の仕事って何をするの?
てか、食えるの??

いや、全然わからない。
でも、絵日記の仕事を作ることに「決めた」。

決めたことで、そこへの道(ルート)ができます。
カーナビに目的地を設定すると、そこまでのルートを自動検索するのと同じで。

 

…とはいえ、講師業もビジネスも全くしたことがないので、失敗に失敗を重ねて。
それでも少しずつ、手探りで、自分の感性をコンパスにして、どうにか形にしてきたのが今の『絵日記学』と、『絵日記学の講師』という仕事。

正直まだまだインディーズ。まだまだ未知数。まだまだ必死で泥臭い。
それでも自分の本心からやりたいと感じ、突き動かされる仕事です。

自分の人生を生きる上では、『自分にとっての答』が一番大事ということ。
それを見つける力を磨く方法を教えています。

つまりそれは、あなたの『生きる力』になります。

そんな私と『絵日記学』を、今後ともよろしくお願いします。


2015-08-24 | Posted in 大人の絵日記学No Comments » 

関連記事

Comment





Comment