断捨離を失敗しない為に大事なこと

世の中の断捨離ブームもすっかり落ち着いて、次に起こっている現象は何か。

断捨離ブームで捨てまくった人たちの

「あれは、捨てるんじゃなかった・・・」

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という後悔の声が今、あちこちであがり始めているそうです。

 

先に誤解のないように言っておきますが、「だから断捨離は悪だ!」という短絡的な結論ではないということです。

断捨離とは単に捨てることではないからです。
持ちすぎてしまった余分なものや、今はもう必要ないけどなんとなく捨てられずずっとくすぶったまま場所や心を占領しているもの。
それら一つ一つを、自分にけじめをつけて手放していくという行為は、かなり「自分と向き合う」という行為に近く、自分の内から余分なものを削ぎ落としていく“禊(みそぎ)”だとすら思っています。

 

じゃあなぜ、断捨離をした結果、「あれは捨ててはいけないものだった」という人があちこちに表れているのでしょう。

それは、「じぶん」という価値の判断基準を、きちんと持っていないからです。

自分の人生にとって、本当は何が大事なのか。
それを抜きにして、本に
「昔の写真は捨てること」
「今着ない服は捨てること」
「思い出の品は記憶にとどめて、持っていても使わないものは捨てること」
というノウハウだけを基準に実行してしまうことで、これが起きます。

ここで間違えてはいけないのは、これらはあくまで一般的な目安でしかないということです。

子どもの頃の、鍵付きの引き出しにしまったものを思い出してください。
しましまの石、プレゼントを結んであった綺麗なリボン、駄菓子の当たり・・・
周りから見たら明らかにつまらない「ガラクタ」でも、そこに自分にしかわからない大事な価値を感じたなら、それはれっきとした自分にとっては「宝物」なのです。

それはつまり、
本来、自分にとって大事かどうかの基準は、本当は自分にしかわからないということ。

「じぶん」を知らずに、他人の価値基準を答えにして断捨離をすると、今回ような悲しい後悔が起きます。

自分が生きる上で、何が大事か。
つまり絵日記学で言っているところの「コア」の部分です。

逆に、それがわかった状態で断捨離を行うと、自分にとって大好きなものに囲まれたスッキリとした空間になり、どれをとっても自分らしさに溢れ、その中で暮らせるということになります。
部屋そのものが、自分という個性の投影そのもののようになるということです。

 

「コアを見つけて断捨離をするといいのはわかりました。
・・・で、私のあの捨ててしまった大事なものはどうしたら取り戻せますか?」
lost

あきらめましょう。

覆水盆に返らず。
冷たいようですが、後悔は自分の心を過去にとどまらせてしまいます。

大事なのは今回の後悔を大切な学びとし、これから先の人生に生かしていくことだと思います。
大事なものを失ってしまったから、大事にできる。

モノも、人でも、それは同じだと思います。

 

「別れて気がついた、あの人は大事な人だった・・・」
とならない為にも、自分の心を見つめ、その奥にある自分のコアを見つけて生きることは、どんな人にも必要なものだと思います。


2016-08-03 | Posted in 心のおはなしNo Comments » 

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