SNSでメッセージもなしに友達申請をする人は、全員非常識なのか
先日 自分のFacebookで、一言のメッセージもなしに無言で友達申請をしてくる人の多さに驚く…という記事を書きました。
「私は会ったことない人とどうしても繋がりたい時には、申請に必ずメッセージを添えるのだけど、知らないけど興味ある人を見つけて、ボタン一つで繋がることの方が今は普通なのだろうか。
それとも、別にダメならいいやくらいの軽い気持ちでみんな申請してるのだろうか。。確かにSNSは新しいご縁や可能性を楽しめるし、ここから仕事に繋がったことも沢山あるけど、カジュアルすぎて軽薄になりかけたこの人との関わり方に、
正直、時々違和感を感じる。
少なくとも私は、ネットリテラシーのない人は嫌い。」
様々な立場の方から意見がコメントにつきました。
そして、それを読んだ申請をしていた方からこんなメッセージが届きました。
「失礼しました。逆に、知らない人なのにいきなりメッセージを送ることの方が失礼かと思っていました。」とのこと。
なるほど。。
確かにその価値観を持っている人だったら、メッセージしないということもあるなぁとこちらも納得しました。
決してその行為をする人全てが、常識や礼儀を知らないというわけではないんですよね。
相手も、それが良かれと思っている場合もある。
常識なんて、一見 万人共通の確かな事実のようで、実は本体のないあやふやな「暗黙の了解」の塊だったりします。
「それ言った人って誰?」となると、途端にサーッと散っていって言い出しっぺがどこにもいない…ようなものなのだと思います。
時代によって、簡単に180度真逆にも変わったりする不安定なもの。
だからこそ、「自分はこう思う」と言えるものを持つことが、これからとても大事になってくると思っています。
自分の考え。自分の意志。
大量の情報や、早いスピードで進み確かなものや信じられるものが次々簡単に変わってしまう今の時代だからこそ、自分の芯を見つけて、情報や環境に呑み込まれない自分をしっかり持っておく必要があると思います。
情報や自分の気を紛らわすものがこれだけ多いということは、つまり他人の意見も大量に自分の中に流れ込んでくるので、簡単に自分を見失えます。
自分をしっかり持つことは、これからの時代「生きる力」と同義でもあると思います。
又、今回このメッセージをくれた方に対して、ちゃんと心ある人だなと思いました。
本当は、相手が何を良しとして何を悪しと思っているかも、話してみないとわからない。
相手は悪意がないのに、悪意があると誤解して受け取ることは、ごく日常的に起きることです。
だからこそ、きちんと対話をすることによって、お互いの解釈の違いを知り、お互いの誤解を解くことこそが、コミュニケーションの本質なのだと思います。
つまり、きちんとコミュニケーションが取れる人同士なら、たとえ考え方が違って何か誤解があったとしても、たくさん対話をしていくことで一緒に解決することだってできるということ。
それにより、信頼というものを更に深めることだってできるのだと思います。
これは子どものケンカでも、
職場や家族の中での疎外感でも、
お互いに自分の正しさを主張し合う戦争でも、
規模の大きさの違いだけで、同じことが起きてるのだと思います。
ネットであろうとリアルであろうと、きちんと自分の意見を持っていて話し合いができる人。
そこが大事な気がします。
ボタン一つで簡単に友達になり、ボタン一つで簡単に切ることのできるSNSやネットという世界であっても、わきまえている大人同士なら、ちゃんと適切な道具の使い方ができるのだと。
相手の話を聞かずに一方的な自分の解釈や感情の暴走でいきなり極端な行動に出たり、自分の価値観が全ての常識と思ってしまうと、ディスコミュニケーションが起きます。
そして問題が起きる。
自分をしっかり持つこと。
そして相手ときちんと対話すること。
「対話」という根本的なアプローチは、今も昔も
人間として、本当の大人として、とても大事なことな気がします。
当たり前なことほど、大人はわかったつもりになり、見落としがちです。
絵日記とは、外側の自分と内側の自分との対話。
そこから自分の外の世界との対話力も身についていくからこそ、
大人にこそ、もっと絵日記を書いて欲しいなと思います。