「心」とは、道具に過ぎないからこそ、道具に使われてはいけない

「心」というと、なんとなく、あやふやで、ふんわりしていて。
要は気の持ちようだけでしょとか、繊細で心の弱い人のやること・・・みたいな印象を世間ではまだまだ持たれやすいため、
「私はポジティブだから、現実主義だから、関係ないかな」
と思われてしまうことも多いです。

確かに心というと、心理学や治療やセラピー、カウンセリングなどといったものが身近で目にするものかもしれません。
あるいは、「おもいやり」とか「やさしさ」、「好き嫌い」など、気持ちを指すイメージでしょうか。

しかし、本当にそれだけでしょうか。

 

絵日記学で扱う「心」は、あくまで『道具』として位置づけています。
それは、心を使って、自分の本質(コア)を見つけるための「手段」だから。
実は人間が持っている高機能な道具なんです。
ただ、この「心の使い方」を知らないまま生きている大人が多い。

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思考の一層内側に心があり、更にその奥に自分の本質があります。
それを見つける為に、絶対避けて通れない分野が「心」なのです。
つまり心は、自分の本質を知る上で必須科目ということ。

「自分の本質」とは、たとえば自分が生きる上で譲れない大事なもの、これをする為に生きているという揺るぎない信念です。
ビジネスや大人の世界でいうなら、「志」や「使命」がこれにあたります。
これが見つかっている人は、強いです。
失敗したり道に迷っても、自分の中にぶれずに貫き通す確かなものがあるから。

自分の考えを持っている人、芯が通って凛としている人、物事を成し遂げる人、存在感のある人、物事の本質がわかる人、運すら味方に付けられる不思議な魅力がある人、大人になってもいい目をしている人、自分の生き方に覚悟と責任が取れる人・・・

あなたにとって、志ははなんですか?

自分の本質(コア)はなんですか?

それを見つけるには、知識やノウハウだけでは絶対に辿り着きません。
なぜなら、あなたという人間の本質の答えは、どこかの本に書いてあるものではないから。
自分の言葉で、自分で導き出すものが、自分にとっての本当の答えです。
自分という人間の答えを誰かに教えてもらおうと外に求め続ける限り、終わりはありません。

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道具とは、「道の具」です。
あなたが生きる上で歩きたかった本当のを歩く為のとして「心」があります。

その、自分の心という道具の取り扱い方がわかるようになる為にあるのが絵日記学です。
取り扱い方がわかって、初めて道具を適切に使える自分になります。
逆に、自分がないと、道具に自分が乗っ取られ、見失ってしまいます。

本心に蓋をして本当の気持ちが自分でもわからなくなってしまったり、
衝動に負けて行動してしまい、冷静に戻ってからすごく後悔をしたり。
これらは心と自分の主従が逆転してしまっている時に起こる問題です。

だからこそ、自分の心について学ぶことは、その人の性格に関係なく、自分を持っていて芯が通った本当の大人のたしなみとして必須科目だと思うのです。

学びというものには、義務教育や教科書では教えられていないその先にこそ、自分で探そうとした人が辿り着く大事な世界があります。

 

「心」というと心理学のように見えますが、絵日記学で扱う心は、どちらかというと哲学に近いです。
自分を持って生きている人は、自分なりの人生哲学を持っています。
だから自分らしい個性をまとい、自分の言葉を持って、自分の志の為に動きます。
答えではなく、そのなり方や考え方を、講座の中でお伝えしています。


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