「普通の人」というお面は外せる

「私、普通なんです。。」

個性的な人や、特別な才能や魅力がある人がうらやましいけど、自分は何もない
・・・と思っている人はけっこういますが、実は普通の人の中には普通のつもりの人」というのがいます。

昔、「なんか変わってるね」「ちょっと変だよね」「なんで○○ちゃんだけみんなと違うの?」とよく人から言われてしまい、「そっか、自分はおかしいんだ」と認識し、みんなと同じでないことがコンプレックスになり、普通に憧れ、普通の人になろうと努力した人というのがいます。
ちなみに私はこのタイプです。
後天的に普通になろうとした人。

普通の人のふりをして、みんなの仲間に入れてもらおうとしたことがある人。
そのみんなと違うはみ出した部分を平にならして、必死で隠そうとしました。
それは、「自分」を消すことと同じ意味なんですね。
確かにその時の子どもの自分はそれしか生き延びる手段を知らなかったとしても、大人になった今は、もうその普通の人というお面を外してもよかったりします。

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でもそれがあまりに昔のことすぎて、自分でも忘れてしまい、最初から自分は普通だったと思い込んでいたりします。
お面をかぶった顔を鏡で見て、「自分って普通だなー」と思っている状態。

今のあなたがどうかではなく、昔、変わっている子扱いされたことがある人は、これを読んで「あぁ、そういえば私もそうだった」と思い出してもらえたら幸いです。

それが、「本当の自分」を知る大事な手がかりだったりします。

 

子どもって、変なところに興味をもって、理解できないものに夢中になったりするもので、性格も本当に様々ですよね。

つまり、本当はみんな変なんです。

自分もみんなも、本来は変だった。
「なんだー、そもそも変でよかったんだー」と吹っ切れた時、自分はもう、自分で生きていいんだと自分を止めている蓋が一つはずれます。

 

「いやいやいや、私は昔っからなんにも特徴が無くて自分の意見も無くて、本当に普通だったんです!」という人。
逆説的ですが、それが最大のあなたの個性だったりします。

チャレンジする子、絵がうまい子、走るのが速い子、頭のいい子・・・だけが個性じゃないということ。
バランスの取れた子、調和を望む子、我慢強い子、じっとしたい子、恐がりな子・・・個性に良いも悪いもありません。

 

そして本当の自分を知り、思い出した時、今度はそれをとことん掘り下げて極めていってください。
どの入口であろうと、極めれば必ず「本質」に辿り着きます。
都会的な国、極寒の国、貧しい国、暑い国、雨ばっかりの国、争いの国。
地球のどの国に立っていようが、そこから穴を掘り続ければ、みんな地球の核で合流します。
ちょっと掘って「違うかも」と言って、また違う場所を掘ってと地表だけを転々としていても、本質の核にはいつまで経っても辿り着けません。

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たとえ違うルートで核に来ても、辿り着いた人同士だけがわかり合える世界があります。
だからどんなジャンルであれ、何かを極めた人というのは、一つの言葉に深みや重みがあるんですね。

それが、自分を知り、自分の使命を果たして生きるということ。
自分のコアを最大限に発揮し、この世界に自分ならではの形で貢献して生きる「真の大人」ということです。

その為の、まずは自分の核(コア)を見つけることが絵日記学なのです。

 

「そんなのは特別な人だけができることで、私は普通だから・・・」

とそれでもなお、すかさず言いたくなってしまう自分は、「本当の自分」のセリフでしょうか?
まずは普通のふりのお面を外し、その下の自分の顔を自分が知ることです。

表層から内部へ。
一つ掘り下げていく度に、一つ核に近付くことができます。

地球も人間の心も、構造は一緒です。


2016-10-04 | Posted in 心のおはなしNo Comments » 

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