感情的な人に振り回されるのが苦手な大人は、人との親密な関係が築きにくい
楽しいことに無計画にすぐ飛びついたり
怒るとカッとなって口や手が出たり
ちょっと注意すると過剰に萎縮したり
気分で言うことがコロコロ変わったり
すぐ泣いて悲劇のヒロインになったり
私にはできないと投げ出したり‥‥
あなたの周りで誰か思い浮かぶ人は
いるでしょうか。
感情的で周りの人を振り回し、
年齢の割にちょっと幼いタイプの人。
こういう人と接している時、
心がザワつき動揺することはありますか?
最初はそんな相手に合わせようと
努力するのですが、
相手の子供のような言い訳や
感情のアップダウンが激しい態度に、
「あーめんどくさ!もう勝手にすれば!」
とサジを投げたくなったり、
冷徹にバッサリ切りたくなったりします。
でも大人なので、
「今後そういう人とは距離をおこう」とか
「致命的に合わない人種なんだ」と
大人心の理性を使って割り切ろうとします。
‥‥なのに、なぜか自分の目の前に
子供要素の強い人がまた現れ、
その度に心がザワつき
心中穏やかでなくなります。
心にフタをして動揺を抑えるも、
イライラピリピリした空気や
相手に壁を作っているのって
態度に漏れ出ちゃうんですよね。
いつもなら冒頭に挙げた例のような
『子供心』タイプの人について
書くのですが、
今回はそんな人に振り回されて
心がモヤモヤしんどくなっている
『大人心』タイプの人に向けて
書いてみようと思います。
絵日記学に来てくれる生徒さんには、
小さい頃から感受性が強く感情的な
『子供心』タイプの人が多くいます。
ただ、子供心タイプの人は
そのまま社会に出ると
他人との間に摩擦が起きて傷つき、
後天的に思考や理性の『大人心』を
強化してきたという特徴もあります。
この「大人心の強化」は
人間の精神的な成長として
誰もが通る道ではあるんです。
でも感受性が強すぎる人の場合、
白黒を極端にやってしまう傾向があります。
つまり、極端に大人になろうとする。
ここに歪みが生じます。
元々感受性が強かった人が
大人に振り切ろうとすると、
今度は子供心や感情を全否定するんです。
それは他人だけでなく、
自分に対しても。
そのため自分の感情も直視が苦手になり、
感情に鈍くなっていきます。
そしてこの
『大人心タイプに転身した元子供心タイプ』
の人の根本には、
自分が子供だった当時
子供らしくいられなかった
という共通点があります。
人間の精神って、
子供時代に子供らしさを
しっかり体験することで
健全に成長していくんです。
そのため、
「子供らしい子供」としての経験が
十分にできていないと、
子供心が満たされないまま
大人になってしまいます。
例えば、
親が厳しくて
子供らしくいることが許されなかった
保護者である親が感情的で幼く
頼りなかった
下の子の面倒を見て甘えられなかった
親まで自分のことをを理解してくれず
責められた
こういった体験に、
子供って大げさでなく本気で絶望します。
そして感情をスッと閉じて、
理性で現実を理解しようとし始めるんです。
「あぁ、私は子供でいちゃいけないんだな」
「大人は助けてくれないんだな」
「じゃあ、私がしっかりして生きていこう」
子供ながらに心に誓ったことが、
その後の自分の性格を作っていきます。
このタイプの人は、早い時期から
「早く大人になりたい」
と思っている人が多いです。
「子供なのに聞き分けがよく、
しっかりして大人びている」
とよく言われてきた人は、
子供らしさが未履修の可能性があります。
精神的に幼い人や依存的な人に
やけに嫌悪感を感じ
避けたくなってしまうのは、
自分の中のフタを閉じられた子供心が
反応し騒ぐからです。
一見、理性的な大人心タイプのようでも、
子供心に大きな違いがあります。
健全に子供心が満たされた上で
大人に育った人の場合、
相手が感情的だったり依存してきても
フラットに対応できるはずなんですね。
嫌いなのに気になってしまうというのは、
自分の中にいる
未解決の子供心の反応です。
私の場合、感情的な大人もそうですが、
もっとダイレクトに子供が嫌いでした。
(しかも私が5歳の頃には既に
小さい子が嫌いでした。
自分も十分子供なのに。笑)
甘えたりわがままを言ったり
泣いて騒ぐ子供らしい子を、
ひどく軽蔑していたんですね。
自分の親が子供をかばって守ってくれる
安全な存在ではなかったという事実が
当時子供ながらにけっこうショックで、
でもその気持ちを飲み込んでいました。
だから、
「なんで私は子供でいることを諦めたのに
お前はそんな子供で許されてるんだ!」
っていう嫉妬だったんだなと思います。
こういう経験で、
子供って自分の子供心を自ら封印します。
なので私もずっと「依存ってダメだ!」
と思ってきたのですが、
子供ってある意味
親に依存するのが子供の仕事なんですよね。
子供時代にしっかり依存して
守られてる安心感や信頼感を感じて、
大人になって自立し、
今度は誰かを守ってあげられる側になれる。
そう考えると
「依存」って悪でもなんでもなくて、
循環する健全な営みの一部分
だったんだなと思います。
自分の子供心が満たされてないまま
大人になり誰かに愛情を与えようとすると、
義務感や自己犠牲を使うことになります。
すると自分は満たされていないまま
人に与えるので、
定期的に枯渇しダウンするんですね。
そして『依存=悪』だと思っている人は、
自分も誰かに依存すると
拒絶される、嫌われるといった
否定されて傷つく怖さが
セットになってしまいます。
そのため、
他人との関係が深くなることに
無意識にブレーキが働き、
親密な人間関係作りに問題を抱える
ことが多くなります。
愛されたいし安心したい一方で、
依存するのもされるのも許せず
過剰に警戒しちゃうんですね。
「うまくいかなかった!
落ち込んでても時間がもったいないから
次に目を向けよう!ポジティブに!」
幼いうちから
大人心を強化してしまった人は、
つい自分の感情をすっ飛ばして
思考や理性で合理的に進めようとします。
でもその手前にある
「ショックだった」「悲しかった」という
自分の気持ちをちゃんと無視しないで
見てあげることが大事なんです。
‥‥と言われても、
そういうのが苦手で
多分今も流そうとしたと思います。笑
でも、その弱くて惨めな気持ちこそが、
当時の子供だったあなたが
大人に聞いて欲しかったこと、
受け入れて欲しかったことなんですよね。
タイムマシンで過去に戻って
親に物申すわけにはいきません。
でも、当時の満たされていないままでいる
あなたの子供心を満たすには、
今の大人であるあなたが
自分の子供心に同じものを
与えてあげることで、
未履修だった子供心の穴は埋まるんです。
自分の感情を見るのが苦手で、
つい避ける理由を次々思いついてしまう
大人心の優位な人だからこそ、
自力ではなかなか進めにくいと思います。
絵日記学で学びながら、
一緒にその子を見つけてあげませんか?
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