教えていて「あぁ、この人は伸びるだろうなぁ」と思う人の特徴
普段、絵日記の講座で人に教えていると、様々な人が受けにきてくださいます。
そこで教える側から見ていてハッキリわかるのが、それぞれの人の学びの姿勢。
素直にぐんぐん吸収する人、さぁお手並み拝見といこうかと斜に構える人、私は前に○○を勉強してきたんですと自分のテリトリーを持ち出す人、わかるフリをしちゃう人、自分の殻にこもったままの人・・・
つくづく思うのだけど、学びの姿勢って本当に大事です。
そして、学んでぐんと飛躍的に伸びる人って、立場や年齢関係なく、真摯に受け取ろうとするんですね。
逆の立場になって想像してもらうと、分かりやすいと思います。
今回は、学ぶ時の真摯さの身につけ方について。
どういう心持ちでいると分かりやすいのか、私の体験を通した事例でお話しします。
同じことをしろというのでなく、心持ちを掴んで欲しくて書くので、
感覚で、読んでくださいね。
実は私、高校卒業後、一年間フリーターをしていました。
しかし、自分の道を自分で決めるとはどういうことかを知る、価値ある一年となりました。
学生の仕事は学ぶこと。ただしそこには、惰性も入りやすくなってしまいます。
そうすると、今歩いている道に疑問を持つ力が、衰えてしまうんですね。
小学校を卒業したら自動的に「あなたの住んでる地域だとここの中学だよ」と差し出され、そういうもんなんだと中学生になり、
中学三年生になると、「あなたの学力だとこの辺の高校だね」と言われて、そういうものなんだと高校を受験し、
高校三年生になると、進路は大学か専門学校かといったような選択肢を出され、じゃあ専門かな…と思ったあたりで、ふと、立ち止まりました。
これは、差し出されたものの上をただ進んでいる状態のではないかと疑問に思ったから。
デザインの専門学校に行きたいという自分の意思は確かにあったけど、順路をただただ進んでいること自体を疑いたくなったんです。
それで、学生になるという順路を一度降りてみることに。
もったいない、一年人より遅れをとってしまう、履歴書的にも不利だなど、色々不利益はあり迷いましたが、今、自分は初めて自分の意思で自分の道を決めたという実感も感じることができました。
お膳立てされた順路を疑うだけじゃなく、自分が今やりたいと思っていることは、誰かの影響や惰性じゃないか?と自分自身も疑ってみたのだと思います。
そして「働く」という生き方を体験してみて、学生という環境が、いかに恵まれているかを知りました。
一度離れてみても、やっぱり学校に行きたいという自分の気持ちは全く変わらなかったこともわかりました。
ちゃんと、紛れもない自分の意志で、その学校に行きたいと確信できました。
一年間のアルバイトで密かに100万を貯めていたものを、親に渡しました。
学費全額にはならないけど、これを足しにして、学校に行かせて欲しいと伝えました。
高校からそのまま専門学校に行くこともできたけど、それでは多分、学生気分の延長で、高校の時のように授業や先生に文句を言って、サボったり遅刻したりしただろうと思います。
学生で学べることのありがたみを、身をもって知った上で学校に入れたことで、学校で与えられる全てを、愚痴も言わず惜しみなく学び取ることができました。
学校の課題は三倍の量を提出し、休日はひたすら練習。
成績もほぼトップで、コンテストも金賞に出席も皆勤賞。。
多分、他のクラスメイトからしたら、くそ真面目な人間に映っていたと思います。笑
真面目ぶりたかったわけじゃなく、本当に、学べることのありがたさを知って学んでいたから。
それだけでした。
離れて初めて、離れたところにあったありがたみを知る。
働いて初めて、学生という立場のありがたみを知り、
家を出て、初めて親のありがたみを知り、
会社を辞めて個人事業で働いて、初めて会社のありがたみを思い知る。
本当に笑える人は、悲しみを知っている人。
人を大事にできる人は、失う辛さを知っている人。
道のありがたみを知っている人は、道のないところを歩いた人。
そう、思います。
するとどんな相手に対してでも、敬意を感じて大切に受け取れるようになる。
謙虚に、とか真摯にという行為が、形だけでなく心からできるようになる。
大事なのは、型に注がれた、その「心」です。
「私、そんなのもう知ってるし」という慢心の気持ちは、その表面の奥にある大事な学びを受け取れなくなります。
内心、あぁ、もったいないなぁと思います。
頑なさ、すね、慢心、殻にこもる、依存、疑い・・・
これらを心に持っていると、まっすぐ吸収ができず成長が遅くなります。
なので、ただ教えるだけでなく、個人個人に対しこの解除をしていく必要もあるんですね。
教える上で、生徒の心の状態というものも丁寧に見ていっています。
学ぶときの自分の心持ちや姿勢が、いかに大事か。
そして、謙虚に、真摯に受け取るその姿勢に、人としての真の美しさが宿るのだと思います。