日々の絵日記が『自分の言葉』で話す力を育てていた
先日、とある面接を受けてきました。
そこでお話しした方に
「塩崎さんって、言葉の引き出しを
たくさん持っているんですね!
選ぶ言葉がどれも的確だからか、
内容がスッと入ってくるんですよね。」
一つ一つ、
『自分の言葉』で話しているのがわかる
と言ってもらえました。
確かに初対面の人によく言われるけど、
そういえば私、
なんでこんなことができるんだろう?
と、不思議に思いました。
元々は感覚的すぎて、
「何言ってるか全然わかんない」
と言われショックを受けてた人間なのに。
‥‥あぁそうか。私のこれは、
生まれ持った才能ではなく
積み重ねた結果だなぁと思ったんです。
絵日記学の生徒さんの中にも、
最初の頃
「自分の言葉で話せないんです」
という悩みを持っていた人が多くいます。
そんな生徒さんたちも現在
「◯◯さんって、ちゃんと
自分の言葉で話せてすごいですね」
と人から褒めてもらえるらしいので、
『自分の言葉』と絵日記の関係について
考察してみようと思います。
普段、なんとなく思ってはいるけど、
それがモヤモヤしたまま
うまく言葉にできない時って
ありませんか?
漠然と感じている感覚や気持ち、
考えすぎてぐちゃぐちゃになり
まとまらないことなど。
私も絵日記を書いている時、
手を止めて、どう表現しようかと
しばらく考えることがあります。
「んー、この気持ちはなんて言葉だろう?
これも近い言葉なんだけど、
ちょっとずれるなぁ‥‥
そうか、あの時、
私本当はこう思ってたのか!
うん、本当にそうだ。この言葉だ。
これ以上にしっくりくる言葉はない。」
そうやって自分の中にある
曖昧な感覚を探り当てながら、
近い言葉を見つけては
一つ一つ翻訳していく作業。
絵日記を書く時って、
そんなことが自然に
何度も繰り返されているんですよね。
一日のことを書くだけでも
たくさん考えますが、
それが一年分も書いた頃には
かなりの回数になりそうです。
私の場合でいうと、
さらにそれを×26年分の回数
繰り返してきたことになります。
そりゃあそれだけ繰り返していたら、
『自分の言葉』で話す力も
ついてしまうわけですよね。
このように絵日記は「日々を書く」
という特徴を持つ媒体だからこそ、
思わぬ副産物のように
様々な効果が生まれてくるようです。
書くことで積み重なっていくのは、
ページだけではなさそうですね。
世の中には言葉のテクニックを
教えてくれるものもありますが、
一回学んだことや一回読んだ本では、
『自分の言葉』として
自在に扱うところまでは難しいでしょう。
なぜなら、
絵日記ほどの頻度で日々積み重ね、
自分の中に染み込んでは
いかないからです。
「今日」という日は毎日やってきます。
絵日記はその一日一日を
繰り返し書いていく作業なので、
書けば書くほど積み重なっていきます。
こうして『自分の言葉』で
表現できるようになるということは、
自分の中にあるものを言語化する力がつく
ということでもあります。
自分の中にあるもの、
たとえば自分の考えや気持ちだけでなく、
心の奥底から突き動かされる
本当にやりたいこと、
自分のアイデンティティや才能など。
それらの無意識であいまいな、
でもとても大事なことを、
自覚し、言葉に翻訳できる力なんです。
そして言語化とは
自分の中にあるものの具現化だけでなく、
相手に自分のことを
ちゃんとわかってもらえる力
でもあります。
話し方や文章術といった知識、技術も
もちろん素晴らしいスキルです。
ただ、土台である『自分の言葉』が
未熟なままで扱う知識やスキルは、
どこか他人から借りてきた言葉のようで
かえって浅はかさや幼さが
余計に際立ってしまったりもします。
それらの知識やスキルは、
『自分の言葉』で伝える力と
組み合わされた時に、
最大の効果を発揮するのではないかと
思っています。
そして、あなたの伝えたかったことが
『自分の言葉』でちゃんと伝わると、
相手の反応もきっと今までと
変わってくるでしょうね。
じゃあ、その根源である
『自分の言葉』で話す力を
育てるにはどうしたらいいんだろう?
まずは浮かんでくる
自分の考えや気持ちを、
頭の中だけで終わらせないことです。
書いてきちんと形を与えることで、
その力が育っていきます。
そして、それを一回で終わらせず、
積み重ねること。
冒頭で書いたように、
絵日記を書いていると
『自分の言葉』が日々育っていくので、
絵日記を書いている生徒さんたちも
人から『自分の言葉』や言語化を
褒められるようになっていきます。
(生徒さんが褒められていると、
絵日記の講座を作った私も
一緒に褒められたみたいな気がして
勝手に照れてしまいます。笑)
でも、本当に称賛に値するのは、
自分の言葉や言語化の上手さといった
表に現れている成果ではなく、
絵日記を書いた生徒さん自身が
自分で積み重ねてきた努力
そのものなんだと思います。
生徒さん本人は
ただ楽しく絵日記を書いていただけで、
「努力」と思ってすらいなかったり
するんですけどね。笑
『自分の言葉』で話せるように
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