下北沢の日記専門店「日記屋 月日」さんでアイデンティティプチ崩壊
下北沢の一角に、日記の専門店があるのを
ご存知でしょうか。
『日記屋 月日(つきひ)』さんです。
「日記の専門店って??」
と気になるこちらのお店。
店内には日記をテーマにした本の他、
日記帳、日記グッズ、
更には一般の人の書いた日記(!)まで
販売されています。
ちなみに先日ご紹介した
日経WOMANの日記特集の中でも、
こちらのお店が紹介されています。
今回は日記屋さんに並んでいる日記本と、
それを見て私の日記に対する思い込みが
崩壊したお話をしようと思います。
日記屋さんの店内には
様々な日記に関連する本がずらり。
これ、全部日記の本です。
お店に行くまでは
日記の本ってそんなに種類あったかな?
と疑問だったんですが、
店内だけで700〜800冊もあるそうで、
その多さにびっくり。
日記好きの私としては、
あれもこれも日記!!というこの環境が
ワクワクする宝の山のようでした。
「アンネの日記」「土佐日記」など
タイトルに「〇〇日記」と
書かれている本だけでなく、
毎日の料理の記録、
戦時中の兵士の日誌、
子育ての育児記録、
動物や植物の観察日記、
介護レポートや日記の絵本など多種多様。
日記の本って、意外と幅が広いんですね。
「そっか、これも日記の類なんだ!」
と驚く本がたくさんあり、
私の知っている「日記」の概念を
広げてくれたように思います。
『日記』というと、
「あぁ、アレでしょ?」と
会話では通じますが、
その『アレ』の定義はなんとなく
「毎日書く日常の記録」のような感じで
けっこう漠然としていたりしませんか?
いざ正確な日記の定義を聞かれると、
ハッキリとは答えられなかったりします。
実際に私も
店内で様々なタイプの日記本を目にして、
「日記」が指す定義って
一つではないんだなと知りました。
記録した情報を蓄積し
分析する目的で書かれたもの。
感情の吐露、思考の整理といった
書くという営み自体が目的のもの。
文献、歴史的資料として残し
後世に役に立てるためのもの。
また、本ならではの特徴で
面白いなぁと思ったのが、
他人の人生や生活、心情など
日記を通して個人の視点を覗ける
という読み手のメリットや、
物語として書かれたフィクションの日記。
日記の本は、日記を書くのではなく、
読むことを楽しむ目的になるんですね。
ちなみに『絵日記学』においての
「日記」の認識はというと、
「日々の出来事を手がかりに
自分の気持ちを読み解いて、
アイデンティティを確立すること」
‥‥となるのですが、
絵日記学独自の定義だったものが
繰り返し人に教えていることで、
いつの間にか私の中で
世の中の常識と思い込んでいたんです。
「え?だって日記って、
自分を見つけるためにやるものでしょ?」
と、自分だけがそう認識していることに
気付けなくなっていました。
そのため、日記本を読んでいると
「え、この日記、食べたものだけ?
自分の考えや気持ち書かないの?
それどころか字すらない日記まである!
(字を書けない少年が
マッチ箱に日々の思い出の小物を詰めた
『マッチ箱日記』)
これも日記なのか!!」
「‥‥もしかして日記って、
私が思っているよりも
もっと広い意味を指すのでは?」
初めて海外旅行に行って
自分の外の文化や常識に触れた時
のような感覚でした。
もっというと、
長年鎖国していた日本の侍が海外に行って
日本にはない植物や食べ物の
種類の豊富さに衝撃を受けた‥‥
みたいな状態です。笑
自分の知っている日記の世界は
すごく狭い意味のものだった!
と知りました。
‥‥でも一方で、
長年の鎖国によって
独自性の強い文化が発展した
というメリットもあるので、
鎖国も悪いことだけではないんですよね。
そのメリットも含めて、
狭い世界で独自の理論で進化を遂げた
絵日記学に通じているなと思います。
今までの人生で自分が作ってきた常識が
かなり狭く偏っていたとわかった時、
あなたはどんな気持ちになりますか?
曲がりなりにも
自分が長年一生懸命育ててきたものを
一度壊して修正し作り直すのって、
正直やっぱりショックでもあるんです。
それが自分の大好きな分野ならなおさら。
でもそんなショックよりも、
こうして修正を加えることで
自分の「日記」に対する
認識の精度がより高くなることに、
「うわあああぁ壊すの悔しい!
でもそれ以上に、
日記について更に知れて嬉しい!!」
と心から感じてしまったんですね。
どうやら私は、日記という道の探究が
本っ当に好きなんだなと
ちょっと自分に笑えました。
そしてこの自分が積み上げてきたものを
一度崩壊させて
また最初から積み直すのって、
『アイデンティティクライシス』にも
似ているなと思います。
「自分の崩壊なんて
しなくていいならわざわざしたくない」
と敬遠されがちですが、
このアイデンティティの崩壊は
人間の自立において
けっこう大事なものだと思っています。
崩壊したガレキの山を見つめ、
一度『自分』と『自分ではなかったもの』
とを分けて再構築をしていく過程で、
自分をより深く知ることになるから。
他者の考えや影響を受けた価値観など
『自分ではなかったもの』を
取り除いてから再構築するので、
結果、積み上げ直したものって
『自分』の純度が上がるんです。
今回、軽い好奇心で
日記屋さんを訪れたことから
また思いがけない方向に思考が発展し、
自分の中で大きな気付きがありました。
日々の何気ない出来事の中に、
『自分』を深めるキッカケって
本当はたくさんありますね。
店内に読み切れないほどの
色々な日記本があったので、
少しずつ購入し
日記についての専門知識や理解をより深め
更にマニアックな人間になっていこう
と思います。笑
というわけで、
今回購入した一冊はこちらです。
『日記とはなにか〜質的研究への応用〜』
うーん、我ながら渋い。。
学術書なので分厚く内容も堅く、
お値段も一般の本より少しお高め。
日記屋さんもこんな本をお店に置いて
一体誰が買うんだろう‥‥という本。
私のような人間が買うんですね。笑
誰も読まなそうな難しい本だからこそ、
講師である私にとっては
それだけ読む価値があります。
論文のような口調なので
スラスラとは読み進められませんが、
時間をかけて少しずつでも
大事に読ませていただきます。
そして、日記屋さんという
素敵でニッチなお店を作っていただき、
ありがとうございます!
と、いつかお礼を言いたく思います。
(お店では緊張して何も言えなかった)
参考にリンクを貼っておきますね
絵日記で自分のアイデンティティを
見つけてみたい方はこちらから