セミナーをさまようのに疲れたら開く扉としての絵日記学
あなたは、学ぶことって好きですか?
自分を成長させることが好きですか?
大人になってから自分の意思で学ぶ学びって、自分が知りたいことをぐんぐん吸収できて楽しいものです。
やらされ感いっぱいで、「これが将来なんの役に立つんだろう?」と知った口をたたいて文句を言っていたあの頃の自分に、「立つよ!!むしろそんなに学べる時間が膨大にあるなんて、贅沢だよ!」と説教したいくらいです。笑
学ぶことが「義務」だった学生と違って、社会人になり義務から解放されても自ら望んで学ぶことは、自分のスキルアップや自分磨き、自己成長や知的好奇心などを実感しやすく、自分の向上心を満たしてくれます。
人は、「より良く生きたい」と願うものです。
もっとシンプルに言えば、幸せになりたい。
その為の努力や学びなら、頑張れてしまえるものです。
ただ、そんなポジティブな動機だったはずなのに、いつの間にか迷走していく大人も続出するのですが・・・。
最近では学校という形だけでなく、いろんな学びの場やジャンルが溢れていますよね。
「成功しようぜ!!」のバリバリビジネス系セミナー
「宇宙の愛のオーラを感じましょう」のふわふわスピ系セミナー
「インスタ映えする豪華マンションで立食パーティー付き☆」のキラキラ意識高い系セミナー
それらのコミュニティにハマっていて満足している人は多分、「絵日記学」は受けなくていいと思います。
自分が望んで通い始めたはずなのに、だんだんその場に行くことに気が重くなってきて、行く前にちょっと気合いを入れてから参加する。
内容自体は必要だから学びに行ってるけど、正直どこかそこの雰囲気やノリが苦手でついていけない。
そこの人たちが嫌いではないんだけど、じゃあプライベートでも仲良くしたいかと言われると、正直全然思えない。
大人なので一応その場のノリに合わせることはできるんだけど、周りの人たちみたいにその講座に完全に染まりきれず、いつも心の中ではアウェイ感・・・。。
そんな人が絵日記学に向いている人です。
何系かと言われたら、
「どこに所属しても、いつもちょっとはみ出しちゃってる系」
でしょうか。笑
普通にしていてもなんかみんなから浮いている感。
「なんか変わってるよね」と昔からよく言われる。
まぁ、よく言えば個性的・・・?
じゃあこのコミュニティがたまたま馴染めないだけなのかと所属する場所を変えるも、やっぱりどこも「ここじゃない感」。。
自分だけなんか違う?という分離感を、見ないフリして大人心で強行すれば心はモヤモヤ曇るし、気持ちを認めてしまったらしまったで、これからどうしたらいいんだろうって途方に暮れる。
そして根っこのところでは自信もないから、このセミナーがダメなんだ!と人のせいにもできず、「みんなはこれでハイ!って言えるんだ。そう思えないのは、自分が素直じゃないだけなのかな?」と、疑う矛先は自分になります。
このままではまずい。でもここじゃない。学び先を変える。ここでもない。また変える・・・
こうして「これだ!」と自分が根を下ろし学べるものに出会えず、いくつもの講座やセミナーを転々とし続ける、ジプシーになっていきます。
「私がおかしいのかな・・・」そう疑う度に、自分の心は少しずつ傷ついていきます。
そんな心に、私は「そうじゃないんだよ」と伝えたい。
なんか素直に共感できない、どこか違和感を持ってしまう。
染まった方が楽なんだろうけど・・・やっぱりできない。
頑張って合わせてみたものの、かえって空しさが増す。
成功はしたいけど、正直、あの人になりたいとは全く思わない・・・。。
これって、別にダメなことではないんです。
ただただ『自分の本心に嘘がつけないという価値観をもった人』なんです。
つまり、大人になっても「自分」を完全に見失ってはいない人。
心で感じてしまったものを思考でごまかせないのは、自分を失くしてまでやりたいことではないと価値観では思っているから。
自分を無視して「成功」はしても、それは「しあわせ」ではないよなって奥底の自分でわかっているんです。
そしてそれは、絵日記学の講座の中で何度も出てくる「心の三層構造」の図解で見ても説明がつきます。
外側の「思考」と、中心の「自己意思」。その間にあるのが「感情・感覚」です。
「自己意思」である中心にあるものが、つまり「自分」にあたります。
つまり、この図で見ても、思考よりも感情の方が一層「自分」に近いですよね。
世の中や情報という外部に接している「思考」では正しいと思っても、「自分」にとってそれはNOなもの・・・という矛盾のようなことは、どんな人にもあります。
中心の「自分」をないがしろにして外に合わせようとすると、「思考」の意見ばかりを採用して外に染まっていく。
これをしていくと、どんどん自分がかすんでわからなくなります。
大人になると、このシチュエーションがどうしても増えてくる。
自分を失くしたくない人。
そういう人って、自分が本当になりたいのは素敵な「誰か」じゃないんです。
本当は、「自分」になりたい。
自分が惚れ込んじゃうような、そんな自分になりたい。
自分を好きになれる自分になる。
だから、揺るぎない「本当の自信」が初めて自分の中に育っていく。
そういうタイプの人にまず最初に必要なのは、素晴らしい知識より価値のある講座より「自分」です。
どこかの有名な先生やカリスマ講師に出会うより、まずは「自分」を確立させた方がうまくいく。
成功者やカリスマ的な人から提示される「それっぽいゴール」。
間違いなさそうな人からのアドバイス通りに自分を変えるほうが、自分では考えずマニュアル通りに進めばいいので簡単です。
そして、自分で考え沢山悩まなくていいので、とても楽です。
ただし、そこに「自分」がないものは、いつか必ず行き詰まる。
本当の自分の望みは一向に満たされないからです。
外側ばかり強化して真ん中を疎かにするから、表面上は幸せそうに見られても、自分の心が空虚になるのは当然です。
表面的に自分を変えて解決しようとするほど、本質を完全に見失い、自分を消耗していきます。
内側の空っぽな大人になりたくない。
自分の外側を、嘘で固めずに生きたい。
そういう人が見つけるべきゴールは、「本当のゴール」。
そのためには、自分の本当の望みを知ること。
つまり自分の自己意思が何を望むのかわかることです。
それがわかるようになるには、自分を知ること。
つまり、自分と向き合うことなのです。
自分と向き合うのにおすすめなのが日記です。
日々の事を、自分はどんな主観でとらえているのか、その時本当は自分はどんな気持ちだったのか。
それを書き読み返すことは、成功のノウハウ本よりよっぽど大事な「自分」のことが沢山書かれた書物になります。
そしてあなたのそれは、他の誰にも書けないものです。
自分と向き合うというと、「絵日記学は、自己啓発系ですか?」とよく間違えられますが、自己啓発のように、こうですよと講師が答えやゴールを教えない学問です。
それをやると、生徒さんがまたジプシーになるだけだから。
「自分の答え」を、自分で出せる力をつける。
自分の本質がわかると、物事の本質がわかる大人になれます。
だから、絵日記学は生徒の一人一人が「自分」を見失わず、自分の答えを自分で見つけ出し、その「本当のゴール」に向かって初めて生き始めることができるのです。
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