絵日記学続編 卒業生の声:さとこさん
絵日記学の上級クラスである続編を卒業した生徒さんたちに、改めて自分たちの変化について質問させてもらいました。
絵日記講座の『本編』で見つけた「本当の自分」。
では、自分のコアは?
自分のコアがこの世界に届けたい志は?
これを自分自身で見つけ、自分の言葉にできるようになるのが、絵日記講座『続編』です。
4人目は、小学校の教員をしている さとこさん。
「自分がいると、周りが不幸になる」
「私は誰にも愛されない存在だ」
「ふざける自分は、社会では通用しない」
そんな思い込みを抱えながらも、
きちんとした正しい先生であろうと努力し、
本当の自分を封印して生きてきたさとこさん。
絵日記学の本編で“お調子者の子供心”に出会った彼女は、
続編でその子供心とどう生きていくかと向き合っていきました。
長年否定してきた自分をどうやって受け入れ
「才能」や「コア」として活かせるようになったのでしょうか?
1:絵日記学の続編を受ける前はどんな様子でしたか?
本編を受け終わった時点で、少し自分のことを好きになれていました。
「これが私なんだな」って思えるようになったのはすごく大きな変化でした。
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でもどこかでまだ、
自分は幸せになれないと信じていました。
むしろ、「私が関わった人は不幸になる」
そう思っていたんです。
本編修了直後に飼っていた猫が亡くなってしまって、
「やっぱり私がいるとよくないことが起きるんだ」と思ったんですね。
「私が悪の元凶なんだ」「だから私は嫌われて当然」って。
そんな思い込みに引きずられて、旦那とも勝手に未来の不幸を想像して、
「この人のために離婚しよう」と自分一人で結論を出そうとしていました。
何かうまくいかないことがあると、
「やっぱりまた私のせいだ」と無意識に思ってしまう。
誰かと仲良くなったとしても、
「その人も、いつかは私の元を離れていく」
とどこかで信じきっていました。
そんなふうに、「私は誰かの不幸の原因になる存在」という前提が、
自分の中で当たり前になってしまっていたんです。
でも本当は、自分のことをちゃんと受け入れられていなかったんです。
人生がうまくいかないのは、
この根っこにある思い込みが原因なんだと気づいて、変えたいと思いました。
2:続編を受けようと思ったのはなぜ?
本編で、自分の中に“お調子者”の子供心がいるって気づいたんです。
その時、「あ、これが私なんだな」って素直に思えました。
でも正直、それを素直に出すことはできなかったんです。
小学校の教員って、やっぱり「先生なんだから」って見られる職業で。
親御さんや教育委員会からクレームが来たこともあるし、
「先生はふざけるべきじゃない」とか「完璧じゃなきゃいけない」
という考えを、なかなか変えられずにいました。
本当は、ふざけて笑ってる時がいちばん自然体。
でもそれを出したら、「先生なのに何やってんの?」って言われそうで、
実際にそういう空気を感じたことも何度もありました。
保護者からの視線、職員室の沈黙、
「先生なんだから」と無言で求められる“ちゃんとした像”に、
自分をねじ込んで合わせてきました。
子供と一緒に思いっきりふざけたいのに、
いつもどこかでブレーキをかけてる自分がいました。
それが苦しかったけど、自分の中に“お調子者の子供心”がいるってわかってても、
「ふざける自分は悪だ」、「これは出しちゃダメなやつだ」
と思って、また封印していたんです。
でも本当は、その子供心がいちばん私らしい部分だった。
そこに触れたからこそ、「このまままた蓋をしてしまうのは違う」って思って、
続編を受けようと思いました。
3:続編を終えてどう変わりましたか?
続編で始めに気づいたのは、
「自分の中の大人と子供が、全然信頼し合ってなかった」ってことでした。
本編では仲直りできたと思っていたのに、
実は全然だった。
子供心にどう接していいかもわからないし、
大人心の自分も、全然頼りになるような存在じゃなかった。
そして何より衝撃だったのが、
「私は誰にも愛されてない」
「誰にも愛されない存在だ」
っていう思い込みが、自分の中で想像以上に根深かったことです。
だから、最初は「愛」という言葉を聞くだけでゾッとしたし、気持ち悪いとさえ思っていました。
「そんなもの、私には関係ない」って。
でも、講座の中で「愛おしい」という感情に少しずつ触れていく中で、
初めて自分の中の子供心を「かわいいな」って思えたんです。
「ああ、私、こんな自分を守ってきたんだな」って。
そこから、自分のことを許せるようになっていきました。
「このままでいいんだな」って、少しずつ思えるようになりました。
子供心を受け入れたことで、学校での生徒たちとの関わり方も大きく変わりました。
以前は、「ちゃんとできない子」に対してイライラしてしまうこともあったし、
自分が苦手だった部分を、生徒にも厳しく見ていたと思います。
でも今は、「苦手なことがあるのは当たり前」と思えるようになりました。
その子がどういう特性を持っているのか、
どうすればできるのかを一緒に考えられるようになった。
例えば、黒板の文字を写すのが苦手な子がいたら「遠くを見るのがつらいのかな?」と考えて、自分のノートをコピーして渡したり、
耳からの情報が得意な子には、そっと読み上げてあげたり。
昔の私は、できない子を見ると
「どうしてちゃんとやらないの?」って、心のどこかで責めていました。
でも今は、「できないのには、理由があるかもしれない」って考えられるようになったんです。
それって、たぶん自分のことを、もう責めなくなったからなんだと思います。
最近子どもたちと関わっている時、昔の私は、常に心の中で自分を叱っていました。
でも最近、生徒たちと関わっている時、
自分を叱りつけていた声が小さくなっているのを感じるんです。
そして何より、自分の「できないところ」を子どもたちに素直に言えるようになった。
「先生、漢字が苦手なんだよね」とか言うと
子どもたちが「しょうがないな〜」って笑いながら助けてくれるんです。
自分が弱さを見せても、責められることはなかった。
むしろ、つながりが深まったように感じています。
そして、子どもたちもすごく授業に参加してくれるようになって、
「理科が好き!」って言ってくれる子が増えたんです。
本当にうれしかった。
4:あなたのコアの望み、そして志はなんですか?
正直、「志」なんてものは私には一生無縁だと思ってました。
そんな立派なもの、持たなくていいって。
でも、続編を終えて振り返ってみたら‥‥
自然にやってたんですよね。
子供たち一人ひとりの特性に寄り添って、できる方法を一緒に考えること。
お調子者の自分を出しながら、クラスの空気を和ませたり、笑わせたりすること。
それが、今の私の“使命”になっていた。
意図してやってたわけじゃなかったけど、
子供たちの笑顔や「できた!」っていう声に触れてるうちに、
それが、自分にとっていちばん大事なことだったんだって気付きました。
「こんな自分でよかったんだ」って、初めて本気で思えた瞬間だったかもしれません。
そして、「志を果たすために頑張る」んじゃなくて、
「素の自分でいること」がすでに志につながっていたんだと気づいたんです。
素の自分こそが「本当の自分」で、私のコアだったんだなって思います。
5:最後にひとこと
今苦しいと感じている人へ。
自分が「ありのままでいい」なんてとても思えない。
自分を好きになるなんて無理。
当時の私は、そう信じていました。
でも、自分の中の“お調子者の子供心”を受け入れていったことで、
少しずつですが、自分のことを愛おしく思える瞬間が増えてきました。
無理に変わろうとしなくてもいい。
でも、「このままは嫌だな」と思ったら、そこに正直になってみてください。
その気持ちが、自分を大切にしてあげられる最初の一歩になるかもしれません。
さとこさん、ありがとうございました!
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