感性が錆び付いて何も感じられなくなると、何が困るのか

大人になると思考ばかりになり、感性がどんどん失われていく。

「でも芸術家になるわけでもないし、別に良くない?」
という疑問を持つ人もいると思うので、今回は芸術や美と感性について書いてみようと思います。

絵日記は美術の授業じゃないんだから、絵のうまい下手を評価するものではありません。
だから絵が苦手でも大丈夫ですよーと伝えているので、あえて触れてこなかった「芸術」についてです。

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先日、4期の絵日記講座 第六話、「本質を見抜く審美眼編」を開催し、その中で、人が美を認識する仕組みについてお話ししました。
そして後日、生徒さんが最近あったこんなお話をしてくれました。

「前回の絵日記講座の後、美術館ですごい体験をしました。
僕、普段は芸術とかってよくわからなくて全然行かないのに、この前時間が空いてしまったのでふらっと立ち寄った美術館で、子どもたちの描いた絵を見たら、涙が止まらなくなってしまったんです。。」

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ね?芸術って、自分自身に反応が起きる「体験」だったでしょ?
説明文を読んで、知識や先入観で絵を見るのは、「情報」を見ているだけで、目の前の絵と何も対話していないんだよ。

感性を開くと、作品から直接、言葉以外の情報が大量に自分の中に流れ込んできて、自分の体や感覚に、勝手にそれに対する反応が起きちゃうでしょう?

「すげー起きました。(笑)
いつも美術館とか付き合いで行っても、パーッと見て30分くらいで出てきちゃうのに、気がついたら2時間もいたんですよ。
芸術とかほんとわからない僕が、子供の絵一つ一つからすごいいろんな思いがどんどん伝わってきちゃって…。。
あんなこと、初めてでした。」

 

芸術とは、「体験」である。

言葉では聞いたことがあるかもしれませんが、その意味を噛み締めるような記憶に残る体験、あなたはあるでしょうか。

別にアートの予備知識や、自分も絵を描いていなくても、本当は絵という表現の、言葉でない訴えかけを読み解ける感性があればわかるんです。

メッセージというのは、言葉だけではありません。
言葉という手段を使わない形で伝えるメッセージが、絵なのです。

 

大人になって社会の中で生活し、思考ばかりになってしまうと、この感性が錆びついてしまいます。
感じる力が鈍くなってしまう。
大人が、自分の本当の気持ちがわからなくなってしまうのも、このためです。

私は最近の世の中が情報に溢れ、正解不正解で判断され、思考の左脳ばかりになることに、少なからず危機感を感じています。

思考ばかりで何も感じられなくなった人間は、ロボットと変わらなくなってしまいます。
いやむしろ、人間のIQが70〜200なのに対し、コンピュータの人工知能はIQ4000。
人間の頭の良い悪いの差が、コンピューターからしたらどうでもいいレベルです。笑

だからこそ、人が「美」や「感性」について、もっと真剣に考えることが必要な時代が来ているのだと思います。

 

絵日記学で大人が取り戻せる力の一つが「感力」
右脳である子供心を司る感じる力、感情、感覚、感性のことです。

とはいっても、今度は思考の真逆に振り切って、ただ絵だけを描けばいいというものではありません。
感性だけが正しくて、思考は間違っているというものでもないからです。
どちらも必要だから存在しているのですから。

言葉と絵、思考と感性、左脳と右脳、子供心と大人心…

思考か感性か、0か100かとどちらか一方に偏るのではなく、どちらも必要だからこそ、相反する両者をうまく使えるようになるのが、絵 + 言葉である「絵日記」の持つ力なのです。

 

普段から思考ばかりの人は、絵を見る時や描く時に、つい正解を求めてしまいます。

よく絵や音楽の審査員のコメントなどで、
「技術はうまいけど、表現したいことや君らしさはどこにもないね」
と言われてしまう人というのは、思考寄りの人の作品に多いです。

思考で頭がガチガチになって、感性が曇った大人になりつつある人は、今 自分の目の前にある美しさにも気付くことができなくなります。

それは、美しさや心の豊かさを感じられずに生きる、無機質な毎日を送るということ。

人の一生は、「今」の集まりでできています。
今を無機質に生きるということは、「無機質な人生」として蓄積されていくのです。

だからといって社会や人のせいにして嘆いていても、自分の感性は戻ってきません。
錆びついてしまうまで放っておいたのは自分です。
でも大丈夫。
錆びついたのなら、また磨けばいいのです。

 

感性は、アートを鑑賞するためのものだけではありません。
自分の本当の気持ちがわかること、
違和感や直感がちゃんと働くこと、
言葉以外の情報にも気付けること
自分が生きる上で本当は大事だったものがわかること。

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今 目の前の美しさや豊かさに沢山気付ける人は、幸せを沢山見つけて生きている人です。

とはいっても、別に感性を使わずに思考で生きることが「不正解」ではありませんよ。
もしそれを望むのなら、それも一つの生き方です。

ただ、人はみんな、できれば幸せな人生を送りたい。

無機質に生きるのと彩り豊かに生きるのと、どちらが死ぬ時幸せだったと思えるでしょうね。
それだけです。

 

感性を取り戻したい大人は、絵日記講座へ。

大人だって、変わっていい。
感性豊かに、幸せになっていい。

 

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まずは体験講座、はじめて編の詳細はこちら

kouzabanar

 

 


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