悩みがあると周りに知られたくない人は、根本の考えを見直す時
表向きは元気で楽しそうで、特に問題もなく生きている大人。
ましてや「いつも楽しそうですねー」とか「○○さん素敵ですね」とか言われると、ますますそう演じてしまいます。
「実は仕事やら恋愛やら、自分の生き方そのものに悩んでます。」
「実は自分のこの先が見えなくて、内心ではいつも必死です。」
でも、全然そんなこと思ってないフリをしてしまう。
自分が色々悩んでる人間だと周りに知られてしまうことを避けて、自分は何も問題ないかのように明るく振る舞うことができる。(ヨッ名女優!)
絵日記学の講座に通っている人も、最初参加するのを躊躇したり、行ったことを周りに知られたくないという人は少なくありません。
「へぇ、あの人、悩んでるんだ」
「なんだ、意外とうまくいってなかったんだね」
と思われたくない。
そういう人に見られたくない。
まぁ、その気持ちもよくわかります。
私もそう見られないよう、虚勢はって強がって生きてましたから。
今はSNSなどで、会っていない時も人からどう見られるかがつきまとうから、余計にかもしれませんね。
で、「誰にも見せられない自分」と「悩みなんてない自分」のフリとのギャップに、1人で心が疲れてくるんです。
そしてますます自分がわからなくなってくる。
そうすると、じわじわと心が曇り、苦しくなってきます。
でも、人が迷ったり悩むのって、本当は悪いとか恥ずかしいことではないと思うんです。
見たくないものに蓋をして、自分をごまかし続けて生きている人より、よっぽど自分に対して誠実な人じゃないですか。
あのね、誤解されがちですが、悩むことが悪いわけではないんです。
ただ、悩みに溺れてしまい出口のない迷路にハマってしまったり、どんどん思考がネガティブになっていくのが危険なだけで。
絵日記学で身につく力の1つに、物事の本質を見抜く「審美眼」があります。
何もうさんくさいスピとか魔法とかそういうものではなく、先入観や感情に振り回されずきちんと真実を見つめる力のことなんです。
審美眼は、悩みの無限ループにはまって自分を見失わない為に身につけるべき、大事な要素の一つです。
それに「悩む」という体験も、自分を成熟した大人にさせる大事な要素だと思います。
きちんと悩みに向き合い、それを乗り越えた時、人はその物事に対する重みや深みがわかるようになれるから。
大事なのは、見たくないものから目を背けず、ちゃんと、正しく悩むこと。
その時悩みに呑み込まれない為に大事なのは、思い込みや感情に振り回されて出口を見失わないこと。
正しい悩み方をしていたら、自分で結論を出し、悩みをきちんと完了することができます。
「悩みは尽きない」とかよく言われますが、悩みに終わりが無いんじゃないんです。
きちんと自分で考え、答えを出す力を育てていないだけです。
考えることを途中で諦めるから、尽きないように見えているだけで。
正しく悩んだ人は、その悩みを終えた時、内面が1つ成熟しているはずです。
それが、あなたが言葉に深みや重みのある「本当の大人」に近づく、大事な一歩だと思います。
講師紹介のエピソードにもありますが、大事なのは、自分にとっての答はこれだというものに辿り着くこと。
だから「自分の言葉」を持つことができるのだと思います。
自分の言葉を持つとは、自分の答を持つということです。
悩むことから逃げながら生きることもできますが、いつまでも浅い大人のまま歳だけ重ねていくことになります。
そういう人は、深みのわかる人からは一瞬で見抜かれますよね。
もちろん浅く生きることが悪いわけではないので、どちらで生きてもかまいません。
死ぬ時に、「あぁ、納得いく生き方をしたな」と思える生き方を今することが、本当の自分への誠意だと思います。
自分に胸を張って生きていきたい大人は、自分と向き合うことをそろそろ始めてみませんか?
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