【絵日記学生の集い2017】10人目 もっちー

ライターもっちーの取材レポート第一弾。
『絵日記学生の集い2017』です。

〈 自己紹介という名の座談会 〉

2017年12月23日、都内某所にて。講師の沙和さんと、絵日記学を学んだ講座の1期生~5期生が年の瀬に集結。
自己紹介と称して始まった座談会は、気づけば2時間半にも及ぶことに…。
絵日記学との出会いから絵日記学との関係性、自分に起こった変化までを語りました。笑いあり、涙あり。共感あり、気づきもあり、思い当たる節があってもだえることも(笑)ありました。

誰しも、それだけ語れるほどのものを持っているのだということに感動すると同時に、絵日記があったからこそ、自分の心や行動に目を向け、自覚的になることで語ることができたのだろうなと絵日記学の可能性を強く感じました。
人生をより深く濃いものにしてくれる、絵日記学の価値の一端を示すリアルな記録として。
(ライター:もっちー)

 

10人目 もっちー

 

 

沙和さん:じゃあ、もっちー!

もっちー:はい!1期生、もっちーです。本名は望月 亜紗子と言います。

もうこれ以上言うことはないなというくらいすごいドラマをたくさん聞けて幸せな気持ちですが・・・。

和さんと出会ったのは、新卒で広島に行って働いていて、それから静岡に仕事を辞めて戻ってきて二年目くらいの頃。
私もずっと長いこと自分探しをこじらせ続けていて、新しい職場で働き始めて楽しいんだけど、まだ何か、「自分がやりたいことはこれだ!」って自信を持って言えるものがなくて、セミナーとかワークショップとか、外にいろいろなものを求めて行った中の1つに沙和さんがいて。自己紹介で「絵日記を教えます、立ち上げます」ということを言っていたんです。
絵日記を教えるとはどういうことだろう?と思いつつ、絵日記とか絵本とかそういう表現するものが好きで、気になるなと思って沙和さんに話しかけに行きました。はじめて編はそれから半年~1年後ぐらいに参加したという感じです。

私も、超感覚派の人間で、はじめて編に参加した時、何かはわからないけれど、自分がすごく自由というか楽でいられる空間だなと思ったんですよ。それと、教わることが知らないというか初めて聞くことのはずだけど〝なんかわかる!〟という感覚が漠然とあって、そこから本編受けて、今年続編を受けて先日卒業しました。

私は超感覚派なんだけど、一方で周りに合わせるために自分の感情に蓋をしていたタイプで、でもずっと違和感があった。例えば、口から言葉が出た瞬間に、「あ、これ自分の本当の思いじゃない」とすぐ感じてしまって、それをずっと引きずるし、さらに「これ、周りに本心じゃないってバレているんじゃないか」という疑心暗鬼に駆られるということを、たぶん小学生ぐらいの頃からずっと抱えていたんです。
ずっと物足りなさやもどかしさを感じながら、同時に自分がこの世に生まれてきた意味が必ずあるはずだという思いがあり、それを探しているんだけど、まだ見つかっていないという状態でした。

 

だから、本編を受けて自分らしさを取り戻せたことに加えて、続編で自分の志や使命という話が具体的になってきて、「あ、やっぱりそうなんだ。私が感じてきたことは間違いじゃなかったんだ」と答え合わせができたことですごく安心しました。今、これで良かったんだということが味わえているところです。

本編を受講して自分にしていた蓋が外れたのはよかったんだけど、私もフタカワさんと一緒で怒りをすごくため込んでいたタイプで、怒りがもう出まくる出まくる(笑)。今までずっと職場で堪えていたものが堪えられなくなって、もうほんとに漏れちゃうし、言葉にもなっちゃうし…。
怒りが出せるようになった最初のうちは、「これは自分の感情だし、自分にとって大切なものなんだ、私だけが感じられるものなんだ」と変に開き直っていたんですけど、やっぱり仕事上の人間関係が明らかに上手くっていないということに薄々気づいていたんですよね。自分の感情を出しているのに気分が良くないし、かえって苦しくなっていてしんどかった。

それで続編を受けることにしたんです。最初のうちはロジカルって小難しい、冷たい、上から目線で来るみたいな嫌なイメージがあったんですけど、暴走しながらも学んでいくうちにすごく使えるものだということがわかってきた。今はロジカルと感性の部分が一体になってきたことで、自分がずっと抱えてきた、「自分なのに自分じゃない」という違和感が減ってきて、「今ここに居るのが私」という感覚、さっきゆきさんがどっしりって表現していたけれど、そういう感じで地に足が着いている感じを味わえるようになってきました。

暴走することはまだまだたくさんあるんですけど、そういう時も「今そう思っているよね、そうだね~。でも、ちょっと頑張って乗り越えようか」と自分の中で対話して乗り越えて行けたり、その日は向き合うことができなくても、翌日に「昨日はやっちまったな、あんな言い方しなくてもよかったのにな」と冷静になれる自分が出てきたりしています。

だから私は、続編をやってからの方が、自分の変化を実感しているかな~。使命の話をすると、私もはるなちゃんと似ていて、目指すは「世界平和」なんですよ。はるなちゃんはさっき具体的に言葉にできていたんですけど、私はまだ言葉にできていない、自分のできることでどうやって世の中を平和に導くのかということを考え中なので、はるなちゃんに負けず考えていきたいなと思います。頑張ります!

沙和さん:もっちーはライターさんなのよね。

もっちー:あ、そうです。地元のローカルフリーペーパーの編集の仕事をしています。

沙和さん:ライターだから、仕事で言葉をたくさん使ってきたはずなんだけど、自分のことになると〝ちょっとそれは別〟となることって実は人ってよくあるんだよね。その仕事だからこういう人だろうと思っていても、内面は全然違うというね。その人のキャラクターと職業が完全に一致するとは限らない。Rちゃんみたいに、お堅いおうちなのに突然変異(笑)みたいに全然違うことに興味を持ったりもする。そうすると周りからは共感されづらくなって浮いちゃう淋しさもあるよね。

自分がそれで良しとできても、周りからは一向に理解されないという苦しさもあるから、世界とのつながりをつくることが大事。「私はこうだからこれでいいんだもん」とやっちゃうと、そう思う子供心は満足するかもしれないけれど、周りには〝やりづらい〟とか〝異色で何を考えているかわからない〟と思われてしまって、人にわかってほしいという子供心は満たされない。そういう意味では、まず自分が自分の気持ちをわかった。

じゃあ、次はこの気持ちを相手にもわかってもらえるように、安心安全のコミュニケーションができると、居場所が心地良くなるんだよね。安全な場所というのは、自分の心の中だけで満足していても、外に対して戦々恐々としていたら成立しない。自分を周りもちゃんと理解してくれてはじめて安心が整う。外の世界と自分がうまくやるためには、自分の子供心と相手の子供心が仲良くなる必要がある、それが続編でやることなんだよね。

れいちゃん:続編組がすごいことになっていますね!

沙和さん:なってるね。私も今思ってた(笑)。
続編で学ぶのは、こういう場で自分の言葉で自分の志を語れる力、相手にちゃんと伝えられる力だからね。続編の人たち(おかぴー、はるなちゃん、ゆきさん、もっちー、けいこさん)は、まさに続編で学んだことが身につき活かされてるね。

学びって、知識増やしておしまいじゃなくて、人生にたくさん生かして初めて価値となるから、先生としてはこうした彼らの姿は、とても嬉しいです。

・・・はい、では、最後のトリを、けいこさん。

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