他人にあまり興味がない自分を更生しなくても、社会貢献はできる

今回は私の幼少期のお話を少し書こうと思います。

先日、中学時代の友人と再会しました。
中学時代、つまり20年書き続けている私の絵日記を書き始めたまさにその当時の私を知っている人です。笑

今、私が自分で仕事を作って絵日記学の講師をしていることを知り、

「昔から一人でひょうひょうとしていて、他人に全然興味のなかったさわちゃんが、よく今こんな沢山の人と向き合って、人の心なんて大変なものを扱う仕事してるねぇ。」

と言われて、「あぁ確かに」と納得。

でもじゃあなんで今私はこの仕事をしているんだろう?
と考えてみました。(他人に興味がないことは否定しません。笑)

他人には今も相変わらず興味はないけど、私のコアは「人間の心や本質」に対してはものすごく惹かれるなぁと。

そこにはやっぱり心の底からの喜びがあり、湧いてくる情熱を隠しきれないくらいの、自分の一生の全てをかけてやりたいことなんです。

 

そういえば私は、子供の頃から、誰に頼まれたわけでもないのに勝手に変なものを思いついて作ってしまう、おかしな子でした。
みんなと同じになることができず、普通にしているつもりがはみ出してしまう。

授業中、ノートの端にダンボールで自動販売機の設計図を書いて、ボタンを押したらジュースが取り出し口から転がり出てくる仕組みを思いつき、実際に作ってみんなに提供して行列ができる様子を見て満足したり、

学級新聞係でもないのに個人的に自分の新聞を作って、大量に刷って全員のポストに勝手に入れていったり、

学校の授業でプラスチックの造形を教わって、普通の無地のセーターも可愛くするようなデザイン性の高いオシャレなボタンが無いからと作り、これはみんなも欲しがるだろうと3000個作ってみたり。

誰よりまず自分が欲しいと思い、それが世の中になかったので、作りたいから勝手に作った。
純粋にそれだけでした。

他人に興味がなく、「誰かのために」とか「人の役に立とう」という正義感だったり立派な考えは、残念ながら全然なかったんです。笑

そしてこれらは、小学校の夏休みの宿題くらいの存在感しかなかった絵日記というものを、「絵日記学」という学問や体系まで勝手に作り、絵日記の職業まで作ってしまったという今に繋がっています。

ただただ自分が自分の本質を知りたかったからという好奇心だけで、絵日記を使い20年探求し続けたら、結果的に世の中の人が抱えている「自分」にまつわる問題を解決してより良く生きられる為のモノを作り出していたわけです。

 

つまり自分の「いのち」を使ってこの世界に貢献して生きる上で大事なことは、「自分本位にならず人のために尽くせる素晴らしい人間になりましょう」ということではなく、世の中の為にとか誰かの役に立とうと目指さなくても、一見無価値に見えるようなものを自分の気持ちに従い貪欲に探求したって、それは最終的にちゃんと一つの社会貢献に辿り着くということ。

だからといって、誰かの為に尽くすことが間違っているわけでもありません。

どちらが正しい、間違っているではなく、人の役に立とうとしても、自分の喜びを追求しても、どちらのルートを進んでも、自分のこの命は、この世界に貢献できる方法はあるということ。

だから、どちらでも自由に、「正しい方」でなく「自分らしい方」を自分が選んで、あとは迷わず進めばいい。
右に突き進む人と、左に突き進む人。
真逆のどちらのルートを進んでも、地球の裏側のゴールで結局出会うから。

 

他人に興味が無い自分のままでも、そのままで自分の生きる意味を見出し、使命は果たせるということ。
「こんな、人の役に立たない自分はダメだから変えなきゃ」と無理に自分の個性を矯正して人を好きになろうとしたり、相手のために自分を犠牲にしなくても、世の中の正しさに寄せたり良い人にならなくても、そのままの「自分」を突き詰めれば、1つの人生の“解”に辿り着く。

あなたの「いのち」は、自分の個性を潰したり、世の中で「良い」とされているもので価値のあるなしを判断しなくても、世の中の役に立つ意味のある生き方をすることは可能ということ。

自分を見失わない限り、進み続ける限り、自分にしかできない「いのち」の使い方を全うしていく生き方は見つけられるのだと思います。

もし今自分の「いのち」を活かしきれていない不完全燃焼な生き方をしているなぁと感じるのだとしたら、周りの目や世の中の善悪を気にして中途半端になったり、自分の中にあるものを突き詰める前にやめてしまうから、まだ形になりきれていないだけ。

周りから「それって変だよ」とか「間違ってますよ」と言われても、自分にとっては大事なんだと自分の心が思ったのなら、その自分を否定しない生き方を、自分が最後まで完成させてあげればいい。

 

変化がどんどん早くなっていく今の世の中では、自分が無いとあっという間に飲み込まれて、取り込まれて、流されてしまいます。

じゃあ、自分はどう生きるのか?

自分の言葉で、自分の考えを持ち、情報や時代や流行など常に変わり続けるこの世界を、「自分」を見失わないで生きる方法を確立していくことが、「自分の生き方を見つける」ということなのではないでしょうか。

 

昔、他人に興味がなく、人のためになることをしようと思わなかったとある子供は、自分への探求心だけに注ぎ、大人になって「自分を見失わない生き方ができる大人のなり方」を人に伝える『絵日記学』という、見たこともないへんてこなモノを勝手に作り上げました。

あなたが心の底からの喜びを感じ、内側から湧いてくる情熱を隠しきれないくらいの、一生の命の全てをかけてやりたいことは何でしょう?

あなたが子供の頃から、世の中の価値や評価を抜きにして、本当は大事にしたかったものは何でしょう?

それを自分の中から自分で見つける方法と、それを世の中に必要とされる形で発信していく自分になれる方法があります。

自分の根幹である「自分の本質」を知り、自分が本当はしたかった生き方を実現していく自分になるには?
そんな、自分だけの答えの見つけ方を、絵日記学でお伝えします。

 

ただなんとなく漠然と生きている目の死んだ大人になりたくない人や、
自分の本当に望んでいる生き方がわからなくなってしまって模索している人へ、
自分が生きる意味、自分の人生の“解”の求め方を、「絵日記」という手法で提供すること。

これが、私の一生をかけてやりたい志の仕事であり、私の「いのち」の使い方です。

あなたの「いのち」は、本当は何をするためにあるのか?
それを考えてみることが、本当の自分の人生を生きるための、始まりだと思います。

 

 

自分の知り方を知るはじめの一歩
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2018-06-30 | Posted in 大人の絵日記学No Comments » 

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