自分がないと気付いてしまった…アイデンティティの崩壊後はどうしたら?

あなたは「自分が何者か」って
考えたことはありますか?

私も思春期ど真ん中の中学生くらいから
そんなことを考えては、
自分を知る手がかりになりそうな
『自分の片鱗』に出会うと、
忘れないよう絵日記に書き溜めていました。

 

あなたも
『アイデンティティ』という言葉を、
どこかで聞いたことがあるでしょうか。

「自分は何者なのか」といった
自分の生きる意味や存在意義
のことを表します。

 

そして、
『アイデンティティクライシス』
という言葉は、
この自己(アイデンティティ)が
崩壊してしまったり
見失ってしまったことによる
ショックの状態をいいます。

 

「自分が何者かわからない。」

それは思春期だけの悩みではなく、
青春をずっと昔に終えた私たち大人にも、
アイデンティティクライシスになる
機会があります。

 

もしかしたら、
大人の私たちの方が若者のそれより
更に複雑かもしれません。

今回は、
アイデンティティの崩壊、喪失について
お話ししたいと思います。

「自分が何者か」なんて言われると、
なんだか哲学とか難しい話かな?
と構えてしまうかもしれませんね。

 

 

あまり考えたことがないという人でも、
新しい出会いや
就職の面接の自己紹介で
自分について説明しなくてはいけない時に、
一度は考えたことがあるのでは
ないでしょうか。

 

「私はこういう人間です」と表す時、
大学生です、スタッフです、社長です
などといった『役割』や、
◯◯の出身です、◯◯のチームですなど
『所属』で自分を説明したりしますよね。

そういった何かを手がかりに、
自分という人間を説明します。

 

又、家族や友人、恋人、後輩やファンなど
自分を肯定し応援してくれる人や
自分の価値を認めてくれる人がいると、
なんとなくでも
「自分は大事な存在で、
自分の存在意義はあるのかもしれない」
と思えてきます。

もちろんそれ自体は
悪いことじゃないんです。
むしろ、とっても素晴らしいことです。

 

でも、卒業や引越し、
死別や退職といった別れって、
人生の中で何度も起きることですよね。

自分の外にある何かを頼りに
自分の存在を認識していると、
その自分を証明してくれるものが
なくなってしまった時に、
自分がどこにもないような感覚
に陥ります。

結果、自分の存在や価値を証明する
確かなものがなくなってしまい、
自己の喪失『アイデンティティクライシス』
が起きる、というわけです。

所属していた部署から抜けて
その肩書きがなくなってしまった、
いつも自分を肯定してくれた人が
いなくなってしまった‥‥

「私はこういう人間です」
と言えるものがなくなり、
空っぽな自分の危うさに気付くんです。

定年退職したお父さんが、
翌日から『仕事における自分の存在意義』
というアイデンティティを失くし、
「自分から仕事を引いたら何もなかった」
と気付いてしまうのもこれですね。

このように、
外部からの支えってありがたい反面、
ある日消えてしまう危うさがあります。

 

空っぽな自分は、
何をもって『自分』と言えるのか
わからない。

まるで宇宙に一人放り込まれ、
今どこにいるのか、
比較対象がないことで
自分の立ち位置が分からなくなり、
必死でもがいて現状を打破しようにも
自分の現在地も存在意義も
何も証明できない状態です。

 

そのショックと直面したくなくて、
「自分は何者なのか」考えることに
フタをし目をそらす人も多いです。

でも、そういう人に
それじゃダメだよと言う気はないんです。

むしろ、
そりゃあ、そらしちゃうよねぇ
と思うんです。

 

だって、
自分が崩壊し絶望的な気持ちになるのって
めちゃくちゃ怖いですもん。

「何も特別な才能がなくって、
なんの価値もなくて、
誰からも必要とされない自分」
を直視するのって。。

だから、これまで
頑張って作り上げてきた『自分』が
壊れてしまいそうで怖いと感じるのは、
自然な気持ちなんです。

このように、
他者やコミュニティなど外側の何かに
自分を認めてもらおうとすると、
常に漠然とした不安が伴います。

 

でも、
あなたが死ぬまでずっと側にいて、
失くならないものが一つだけあります。

それが、『自分』なんです。

自分の軸となるアイデンティティは、
外から与えてもらう「何か」ではなく、
その空白を『自分』で埋められた時に
初めて
「自分がどこにもない感」から
抜け出すことができます。

 

でも、じゃあなぜ今まで
自分で埋められなかったんでしょう?

 

自分のことを誰より自分が認めてないし、
信じられていないからなんですよね。

 

「頭」では自分を肯定し
好きだと思おうとしていても、
「心」のどこかに反対の
自分を好きじゃない気持ち
が潜んでいないでしょうか。

この気持ちがあると、
「嫌いな私は本当の私じゃない」
と全ての自分を受け入れていないので、
自分で自分を認められません。

 

「自信」というのは、
自分がどれだけ自分を信じられているか
によって育つ感情です。

ここはよく誤解されがちですが、
「できるから自信がある」
のではないんですよね。

今できなくても、
この先きっとできるようになると
いかに未来の自分を心から信じられるか。

 

‥‥ここが、自己啓発をいくら学んでも
全然自信が持てない人に
見落とされがちなトラップなので、
アンダーラインを引きました。

アファメーションをして自分に言い聞かせ
「頭」でいくら信じようとしても、
「心」である本心』がそう思えていない
だと変われないんです。

あなたは、どれくらい
自分の本心に自覚的でしょうか?

「自分の本心、
わかっているつもりだけど、
絶対かと言われると自信はない‥‥」

という人もいるかもしれませんね。

 

たとえば
読んだ本の内容を人に説明しようとする時、
途中で話があやふやになること
ってありますよね。

それは、自分でもまだ
理解があいまいな部分だからです。

同様に、
自分を深く理解していないと、
「これが私の本心だ」って
確信を持って言えないですよね。

 

それがまっすぐ言えるのが、
自分という個性や特性をよく理解していて
自分の考えを自分の言葉で話し
自分のことを心から信じられる、
自分というアイデンティティを確立した
『本当の大人』なのだと思います。

もしあなたが、
「自分が何者なのか」がまだ明確でなく
その答えに自信が持てないのなら、
まずは自分を深く知ることから。

そして、
自分の深くにある心である本心、
自分の心の扱い方を知ることが、
他の誰かや何かでなく
『自分』という芯を真ん中に通す
アイデンティティの再構築の始まりです。

 

▼関連リンク

作られた自分が崩壊してからが『本当の自分』の再構築の始まり

 

 

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再構築したい方はまずこちらから


2020-09-02 | Posted in 心のおはなしNo Comments » 

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